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宇和島へようこそ 宇和海のすばらしい景観を見ながら走ろう♪

宇和海のすばらしい景観を見ながら走ろう♪

遊子水荷浦の段畑

人々の営みが形造った景観美頂上まで石垣造りの段畑

「耕して天に至る」と形容される段々畑。幅・高さとも1メートルほどの石垣がはるか山頂まで続いています。急な山の斜面を人々が苦労してきり拓いてきた歴史の重み、壮観な造形の美に圧倒されます。
水荷浦の段畑は、眼前に広がる宇和海の美しさもあいまってまさに絶景。「日本農村百景」などに選ばれており、平成19年7月には全国で3例目の「国の重要文化的景観」に選定されました。
また、この景観保持の活動を続けている「段畑を守ろう会」も、平成15年3月末に「ふるさと愛媛創造賞」を受賞しています。

宇和海
愛媛県南西部、北の佐田岬半島の南方、豊後(ぶんご)水道の四国寄りの海域。宇和ノ海(うみ)とも言われています。
小半島が複雑に出入りし、典型的なリアス式沈水海岸をなしております。小島や岩礁が点在し、海中に没した暗礁も数多くあります。
南部は足摺(あしずり)宇和海国立公園に属します。アジ・サバ・イワシ・ブリなどの好漁場で、真珠・ハマチの養殖が盛んです。
愛媛県でほとんど食べられる豊富な漁場として有名です。

観光も是非!”

宇和島城

宇和島城天守

築城の名手高虎、会心の名城鶴島城と呼ばれる秀麗な天守は、当時のまま現存する貴重なもの。
現在の地に初めて天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城のときとされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。
高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残しています。

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